沖(田と)神(楽について考える)

昨日発売された週刊少年ジャンプ18号。

読んでない人はとにもかくにも読んでくれ。アフィリエイトサイトとかで概要だけ読むんじゃなくて、コンビニでコーヒーとお菓子1つでも我慢して270円を本誌にあててやれ。ついでにアンケも出してやれ。
コミックス派だろうがアニメ派だろうがしらねーがどうせ数ヶ月したら目にすることになるんだからもう読んでくれ。


で、18号を読みまして。
フィルターがかかってるんでしゃーないんですが、巷で沖神と呼ばれている2人の公式同人誌か?と思うほどでした。270円とか安っ!それと同時に、今まで好き勝手にオタクが楽しんでいたものを、読者の入る隙がないくらいにひとつも無駄のない答え合わせをされたようでした。


沖(田と)神(楽)だけの話に限らず、応援している男女カプに求める最後のゴールは、紆余曲折がありなからも(時にすれ違っている様子などを外野は楽しみながら)なんやかんやでやっぱり2人が成就することを願っていると思うのですけど、今号676訓を読んで、この2人の落ち着く先が別に♡な関係でなくても、決して落ち込む必要はないんじゃないかと思いました。


最終回ってね、しゃーなし尺の都合で読者はその先をみれなくなってしまうだけで、その作品世界の中では最終回とか関係なく、これからも日常が続いていく訳ですよ。メタ的なそもそも論だけど、作品の登場人物たちは最終回とかそういう概念とはかけ離れたところで生きているもんだから関係ないけど、作者もいろんな思いを込めて最終回を書くに違いないので、最終回には程度はあれど読者に希望とか夢を見せてくれるし、終わっちゃった寂しさよりも読んだ後の幸福感が上回るんなら読者にとってそれってめちゃくちゃ本望じゃないですか。
で、それのよくあるパターンが所謂最終回発情期と呼ばれるやつで、銀魂はこれさえネタにできるという怖いものがないやべえ作品なので、いつかは訪れる最終回で神楽ちゃんの未来も沖田の未来もどう来るのかそのへん不安の塊だったんです。

オタクとは欲深い生き物ですから、フラグがへし折られるのも辛いけど、フラグの可能性が何も感じられない描写どころかなんにも触れられないのも非常に辛いんですね。最終回発情期って言葉が出た670訓あたりから覚悟を決めていたのです。が。
2人がどういう関係に落ち着いても、あるいはそんな描写が一切なくても、お互いがどんなことを考えてどんな風に成長してどんな将来を目指していても、これまでの話も含めて沖田と神楽の2人の関係性を振り返ってみたときに、676訓が沖(田と)神(楽)の真髄なのではないかと思ったのでした。


18号読んで、おっ沖神回や!とか思ったけど、別に直接的な♡の矢印なんかが見えるセリフはひとつもないし、(これまでにもないが)
下手にバナナネタを本人から仕込まれるとか、フラグどうこうネタをいじられる展開なんかよりも、おなじみの憎まれ口叩きながらバトってるからこそ、通常運転だからこそむちゃくちゃ興奮しました。めちゃくちゃムラムラいたしました。


沖田が神楽(流)に対して発するセリフの言葉選びのひとつひとつに、いつもの憎まれ口だってわかってても、どこか彼なりの優しさなのか思いやりなのか情けなのか、なんかうまくいえないけど、深読みをしざるを得ない"何か"も感じた。それが恋愛フラグな感情があるから出てきたのかどうかは神のみぞ知るが、因縁の関係だろうがそれなりに関係を築いてなきゃ出てこない言葉だと思ったんですよね。
つーか冒頭のアオリの「因縁(?)の衝突ッ!」、神。


肝心な言葉は言わないくせについつい憎まれ口叩きながら偽悪者ぶって、実は彼なりの優しさなのか思いやりなのかが隠れてるんだけど、それが相手に伝わらず遠回りしてしまうのは銀魂の男性陣が大体こんなかんじでした。This is 空知節。


おそらく、漫画を読んでてアニメを見てて、セリフや表情から深読みをしざるを得ない"何か"を感じたとき、見えないものを見ようとしたとき、そこではじめて二次創作的な萌えへのカギになると思うのだけど、今回この空知節(=公式)で、一言では言い表せない2人の関係がそのまんま理想で完成形なセリフとともに形容されていて、すとんと納得ののち完全に落ちちゃったよ。
こんなん原作者にされたらこれを超えるものは産み出せねーわ。考えられるならこんなの考えて作り出したいもん。創作意欲が湧き出る燃料でもあるけど、悔いなく成仏できる燃料でもあるんじゃないか?とかとも思いましたけど。まだまだ死ねるか。
昨日はとにかく朝から興奮冷めやらず過ごして、帰宅してもこれまでの激アツな単行本を参考書に萌えを再認識してたわ。


やっぱり676訓は改めて読んでみても、萌えがじわじわと脳内に到達して致死傷となるってかんじだ。

今回この話に新八がいる(=沖田と神楽の2人だけの空間で成り立っている会話ではない)のも萌え的にも重要だす。
沖田なんかよりも比べ物にならないくらい神楽から好かれてて、最早家族同然って関係性の仲で、神楽のことをよ〜く知ってる新八でも、神流の存在には童貞拗らせてアタフタしてるけど、神流=神楽っていう可能性とか疑心の目とかは全く持ってないんだよ。まぁ新八はここ2ヶ月くらいは読者の目線にいるのもあって、ギャグ除けばホントにしんどい立ち位置だと思うのだけど。(それも萌えるが)

そんな新八を目の前にして、新八は気付いてないのも構わずに、勘鋭く沖田が饒舌に喋って神流を煽ってるって構図がやっぱり萌えになるのかなぁ。

豊富な二人称のレパートリーや、言葉選びには彼なりの愛を感じますね。

沖田は登場して以来、一貫して神流=神楽だと確信していて、神楽を登場させるために神流に煽りをかけまくるんですが、(絵面的に沖田が幼女をいじめているというサイテーな有様)
自称神楽の娘でガキの神流に対してのセリフと、神流=神楽だと確信しているからこその目の前にいる神楽に対してのセリフをきちんと言葉を選びながら、彼なりに神楽(流)のことを思いやっているのが伝わるセリフだと思うんですよ。